2020-02-26 第201回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第3号
その上で、実は、このパリ協定がなぜ締結できたのかというのは、その六年前に遡る、ちょうど当時民主党政権が成立して、アメリカはオバマ政権、コペンハーゲンでCOP15というのがあったわけです。
その上で、実は、このパリ協定がなぜ締結できたのかというのは、その六年前に遡る、ちょうど当時民主党政権が成立して、アメリカはオバマ政権、コペンハーゲンでCOP15というのがあったわけです。
私は、二十年ぐらい前にデンマークのコペンハーゲンに行ったときがあります。ちょうどコペンハーゲンに飛行機が着陸しようとしたときに、洋上を見ますと何十という洋上風力発電が回っておりまして非常にびっくりしたことを覚えているところであります。先行するヨーロッパを参考にしながら、いかに我が国でも導入促進をしていくかが大変重要であります。
もう一点は、二問目の質問、もう時間がないからあわせて伺いますが、大臣と昨年夏に、これは情報監視審査会で御一緒しました、イスラエルに行って、コペンハーゲン、フィンランドに行きました。
○富田委員 オランダの洋上風力発電も、コペンハーゲンから船で運んできていたんですね。やはりデンマークの港の方が地盤がしっかりしているということで、ヴェスタス社もそこにあるということだったと思うんですが。 そういった意味で、港湾の情報提供というのは、洋上風力発電をやろうという事業者に大変大事だと思いますので、ぜひしっかり取り組んでいただきたいというふうに思います。
また、ことしの七月二十五日、当経済産業委員会の視察でデンマーク・コペンハーゲン沖のミドルグルンデン洋上風力発電パークを視察させていただきました。 ミドルグルンデンには、二メガワットの風力発電機が二十基あり、全部で四十メガワットの発電量がありました。これらは二〇〇一年に建造され、洋上風力発電としては当時は最大の規模だったそうですが、現在では最小規模の洋上風力発電所の一つになっています。
コペンハーゲンであった会議での例をもとにまとめてみました。 次のスライドをお願いいたします。 例えば米国の災害研究者は、日本ではエネルギー政策に国民を交えた議論を行っている。これは二〇一二年ですので、デリバラティブポールをやった直後でございます。福島は日本の公共政策をそんなにも変化させたのか。 あるいは、福島の影響はさまざまであるが、専門家への不信頼という点では一様性を持っている。
私が行かせてもらったコペンハーゲンのころは、そこまではっきり、まあ、日本の国内ではそういう議論をしていたんですが、国際的にそこまではっきりとした認知はなかったんだけれども、いわゆる下からの積み上げ方式、そういったものをきちっと認識して、判定して、MRVや何かもしっかりやって、そういった制度をやっていきましょうねみたいな話は既に議論があったところなんですが、今、鎌形局長からも話がありますように、しっかりとした
私が参加したCOP15のデンマークは、そのときから、いわゆる風力、自転車、あるいはまたコペンハーゲンの町の共通のエネルギー供給といった対策に取り組みました。 ずっと一貫して、日本は、原発があるからほかはどっちでもいいんだと。
日本が貢献してきたことはもちろんですが、その中で、二〇〇九年の我が党が政権を取ってきたときの演説等が、実は、この間本会議で申し上げましたように、コペンハーゲン合意、カンクン合意、そしてパリにつながっているということも事実だということを是非皆様には御理解をいただきたいと思います。 その中で、残念ながら日本の存在感はどんどん落ちています。
この全ての主要国への参加へのメッセージは、その年のコペンハーゲンでのCOP15での徹夜の交渉、翌年のカンクン合意につながりました。そして、その枠組みが現在のパリ協定に結実してまいりました。 この国連演説草稿の作成に関わり、COP15では政府代表として交渉に加わった者の一人として、現在の政府の対応には深い失望を持たざるを得ません。
実は、環境委員会で三年前にデンマーク等々へ視察に行ったときに、コペンハーゲンの町の廃棄物処理に関して、バイオマス発電や、そしてごみ発電をされている焼却場の視察もさせていただきました。
デンマークのシンクタンクでありますコペンハーゲン・コンセンサス・センターによれば、費用対効果が最も高いODAを集中投入すべきターゲットの中には、アフリカの低所得国で保健、教育などの分野に注力すべきだというふうにもされているわけでございます。 先ほど山田参考人の資料の中にもございましたが、日本のODA総額が減っている中で、日本にしかできないことに力点を置くべきだという話がございました。
地域の具体的な対策を聞かせていただきたいんですが、なぜそれを言うかというと、私が一貫して言ってきたのは、さっき話が出たコペンハーゲンですね。 コペンハーゲンに行ったときに、これは全く知らないで私は行ったんですけれども、あそこのいわゆる暖房設備は約八〇%がまさに一括管理なんですね。
○丸川国務大臣 小沢委員におかれましては、コペンハーゲンの大変なCOPで大臣として交渉に取り組まれたということで、我々もその経験を踏まえて今回努力をしてきた次第でございます。 御指摘のとおり、中国、アメリカといった世界第一位、第二位の排出国が前向きな姿勢で交渉に参加をしたということ、そして最終的に合意が得られたということは、世界全体の対策を進める上で非常に意義があると考えております。
ほかは、香港、台湾、シンガポール、ソウル・仁川、ヘルシンキ、コペンハーゲンと各国一個ずつしかないんですが、日本はベストテンの中に四つも入っているという非常に誇らしい数字であります。
具体的に言えば、IPCCの第四次報告書において示された科学的な知見に基づいて、そして、二〇一〇年一月、全ての主要国による公平かつ実効性のある国際的枠組みの構築と意欲的な目標の合意を前提条件として、二〇二〇年までに一九九〇年比で二五%温室効果ガスを削減するという中期目標を、コペンハーゲン合意に基づいて国連気候枠組み条約事務所に日本として通報しています、だから頑張っていきますと書いてあるんです。
GCFは、実は私が政府代表団で出席をさせていただいたコペンハーゲンのときに、コペンハーゲン緑の気候基金の設立を決定すると記載されて、翌年のカンクン合意の中で正式に決定されたものです。それで、昨年まで制度設計とか資金動員の開始の準備が行われてきています。ですから、私はこの基金には一定自分の責任も感じています。
国際交渉の中で資金ニーズとして現実に語られているのは、まさにコペンハーゲンのときの一千億ドルでございまして、これを二〇二〇年までにいかにして調達するのかということが現在交渉の大きな焦点になってございます。
私たちのときは、二〇〇九年のコペンハーゲンの前も地球温暖化対策本部をしっかりと開いて、そこで各省横断的な議論を、各副大臣が議論をした上でそれを温暖化対策本部に上げて、そこで日本の公式なポジションを決めた上で、交渉の中心に当たる外務省が、そのミッションを受けて環境省、経産省とタッグを組みながら交渉に臨んで、コペンハーゲン、そしてカンクンに臨みました。
それから、再生エネルギーについてですが、誤解なきようにお話ししますと、私は地球温暖化会議に、鳩山さんが出られたあの二五%削減のときのコペンハーゲンから毎年出ています。私は、人一倍この再生エネルギーには関心を持っています。 理想的なことは、とにかく化石燃料がなくても生きれる時代を早く見付けるべきなんですが、残念ながら、今のような再生エネルギーにそんな期待をしたら絶対駄目です、これは幻想ですよ。
そして、デンマークのコペンハーゲン国際空港のターミナルビルのショッピングエリア、通路の床が木材だった印象が非常に強く残っております。非常に温かく、美しいものでありました。これは、世界の美しい空港の一つに、イギリスの情報機関でありますけれども、挙げられております。
いろんな評価はあると思いますが、二〇〇九年のコペンハーゲンのときには、オバマ大統領、サルコジ大統領、メルケル首相と並んで鳩山総理が二五%の削減の表明をし、それが、これは間違いなく一定の次のカンクン合意等につながっていきました。二〇一五年の法的枠組みへの非常に大きなきっかけを私はつくったと思っています。
○福山哲郎君 今年百名を割るのは、COPの位置付け、それから全体のモメンタムもあるからだというふうに私自身は思っていますし、何かを決める会ではないからその程度の人数でいいんだろうと思っていますが、今年百名を切るにしても、百名を超える中で例えばNGOの参加されたのは、私が行ったコペンハーゲンのときはNGOの参加者は二人でございます。
それは経団連、それから連合、それから気候変動に専門的にずっと取り組んできたNGOのメンバー、このメンバーを、政府代表団の人数が多いので、人数を限った上で政府代表団に入るということを決めて、実はコペンハーゲンのCOP15に臨みました。 今年はNGOのメンバーは代表団、民間も含め代表団に参加できるのかどうか、事実でお答えください。
ちょうどあれから二カ月がたちまして、河野委員と一緒に当時の土屋筆頭などとフィンランド、またデンマークのコペンハーゲン等を視察していただいたのをつい先日かなと思ったら、二カ月がたちました。
私は、COP15、コペンハーゲンをやらせていただいて、そのときはテークノートという形でしたが、各国が翌年までに目標を出そうや、こういう話があって、そして二〇一〇年、COP16、カンクンで、各国が掲げる二〇二〇年目標が出てきた。それから、二〇一一年、COP17、ダーバンで、二〇一五年までに全ての国が参加する枠組みを再構築するんだ、こういうことを確認した。
○石原国務大臣 冒頭、一番難しかったコペンハーゲンに小沢委員が先輩環境大臣として行かれた。あの会議の模様は、きのう、実は私もデービーさんあるいはフランスの方と会いまして、もう大変だったと。三十人ぐらいしか入れないところに、ロジも入れると六、七十人追い込まれ、言葉もたくさんの言語がある中で、通訳ブースもなくて、そんな中でわんわんやって、デンマークの首相に至っては、途中で倒れそうになった。